◆◆◆視線◆◆◆

◆◆◆視線◆◆◆


 今から思えば、それは一目惚れだったのだ。
 その人は凛とした立ち姿で、教壇に立っていた。
 切れ長の目は夜のように深い色をしていた。少し長くて、後ろできつく結ってある髪の色も、同じ夜の色だった。月のように冴え冴えとして、でもどこか危うげな、その人は2年A組に二週間だけ訪れた、教育実習の大学生だった。

「待てバートン。トロワ・バートン!」
 受け持っている数学の授業が終わった。4限目だった為、終了と共に生徒達は昼食をとりにざわめきながら席を立つ。五飛はその中の一人、背の高い生徒に声をかけた。その生徒、トロワ・バートンはゆっくりと振り向いて、五飛を見上げた。
 トロワの目は、いつも静かだ。穏かな緑の森のようで、こいつは本当に中学生なのかと、五飛は彼を初めて見た時に思ったものだ。
「何ですか、張先生」
「何ですかじゃない。話がある。来い」
 五飛は有無を言わさず先に立って教室を出た。生徒達のごったがえす廊下を、数学準備室へと向かった。トロワは大人しくついて来ている。
彼の視線が背中につきささっている。五飛は、平静を装う為に努力を必要とし、そんな自分をいぶかしんだ。一生徒の事が、どうしてこうも気になるのか。
 数学準備室には、人影が無かった。職員達は皆昼食に出ているのだろう。好都合だ。
 部屋に入ると、五飛はトロワに向き直った。
「とりあえず、座れ。そこ、クシュリナーダ先生の席」
 言われるまま、トロワは座った。その間、一瞬たりとも視線を五飛から離そうとしない。居心地の悪い空気が流れた。
「先生、眼鏡、かけるんですね」
 唐突にトロワが言った。五飛は思わず自分の眼鏡に手を触れた。
「初日、かけてなかった」
「ああ…東洋人は若く見られるというからな……気休めだ」
「似合ってる。俺は好きですよ。かけてても、かけてなくても」
 五飛はそれには答えずに、自分の机から一枚のプリントを出した。先日行った数学の小テスト。それの答案だった。
「どういうつもりだ」
 五飛は、その答案をトロワに突きつけた。トロワ・バートンと署名してあるそれは、名前以外は空白だった。式の一つも、記されていなかった。
「ブルーム先生に聞いたら、数学の成績はトップクラスだと言われた。何故白紙で出した? 言いたい事があるなら、今言え」
 トロワは黙って、五飛を見つめていた。穏かだが、感情の読めない目だ。
「バートン」
 再度促そうとした五飛を、トロワの声が遮った。
「先生。先生はあと3日で大学へ戻る。もし、この学校の教師になれたとしても、俺はすぐ卒業だ。教育実習で二週間だけ受け持ったクラスの生徒を、先生はいちいち覚えていられない。俺の事を、先生はすぐに忘れる」
 五飛は眉をひそめた。殆ど度の入っていない眼鏡を取ると、やはり表情の無いトロワの顔を見つめた。
「だからなのか? 俺に覚えられようと? それで白紙で出したと言うのか?」
 トロワは、はいともいいえとも言わず、微かに笑った。どうしたら良いのか判らないと、その目は笑いながらも訴えていた。五飛は言葉に詰まった。
 落ち着いて見えるがトロワはやはりまだ幼く、自分の感情すら持て余している。渦巻く感情の吐き出し方を、まだ知らないのだ。
「バートン…」
「もう、覚えたでしょう? 俺の名前。ファミリーネームじゃなく、ファーストネームも」
 トロワは椅子から立ち上がった。10cm程背の高い五飛の目をまっすぐ見つめた。五飛はその目に押されていた。だが、退く事は出来ない。五飛の矜持が許さない。
「バートン……」
「トロワ、だ。先生」
 トロワが五飛の肩を掴んだ。引き寄せられる。目を閉じなかったのは、教える立場としての最後のプライドか。
 キスは触れるだけの幼いものだった、
 トロワが離れると、五飛は力が抜けたように椅子に座り込んだ。
「……何を考えているんだ」
 力のない問いに、トロワは迷いのない声で簡潔に答えた。
「先生に会ってからは、先生の事ばかり」
「だが……俺は」
「いいんだ。俺が先生を好きなだけ」
 椅子の背もたれに両手をついて、トロワが顔を近づける。整った顔だった。緑色の目が、優しくて綺麗だった。
 二度目のキスは深かった。口腔で舌が絡み合い、溶け合う。背筋に電流が走るような、快感。流されそうになって、五飛は顔を背けた。
「止めろ、バートン」
「トロワと呼ぶまで、止めない」
 トロワの唇が、頬から首筋に落ちる。きっちりと襟まで止めてあるボタンを片手で器用に外して、ネクタイを緩めた。抵抗されないのをいい事に、鎖骨にきつくキスを落とした。赤い花が咲く。
 エスカレートしていくトロワの行為に、ついに五飛は声を上げた。
「止めろ、トロワ! ここは校内だぞ! いいかげんにしろ」
 ファーストネームを呼ばれて、トロワはぱっと離れた。穏かな笑顔で、微かに赤くなった五飛の顔を覗き込んだ。
「やっと、呼んだな」
「呼ばせたんだろう」
「これでもう、先生は俺を忘れない。先生がどこに行っても、俺は先生を追いかける」
 お互いに、その目に捕まってしまった。離れていても忘れられない、その印象的な目に。

「五飛って、呼んでいいか?」



★草部”ははは…笑うしかナイ”うらを氏のコメント★

終わりだちくしょー!!
年齢差トロ×ウー。難しいよ、バカヤロー! 確かに自分で書くって言ったさ!!
あーーー……トロワが中学生、ウーフェイが教育実習の先生ね。
トロワ中2で14歳。ウーフェイは22歳。その差8歳です。うわぉ。


このSSは、先日草部氏宅にて行われた対談の合間に話していた会話がキッカケで作成されたものです。
私が最近歳の差3×5にハマっているという話をした所、『年下トロワでもそれは可能なのか?!』という話になり、うっかり「ちょっと書いてみたい」と言った草部氏の揚げ足を取って、半ば強引に書いてもらいました(笑)。
何せレポート用紙3枚に(3時間足らずで)走り書きしたものを推敲する間もなく奪い取ったので、展開が早く、所々説明不足な点もあると思われます。しかしそれは草部氏の望むところではなかった事をご理解下さい。
そして、あえてプロットの段階での掲載にOKを出してくれた草部氏へ、お詫びと感謝を。
有難う。

のたうち まわる